視聴覚文化研究会

AUDITORY VISUAL CULTURE STUDIES

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第十回視聴覚文化研究会 第一回芸術学研究会 発表要旨集
  • 日時:2007年12月16日(日)13:00〜
  • 場所:神戸大学文学部 新館351教室

撮れる技術―デジタル写真までの写真技術の発展と人々の認識の変容
川本健二(神戸大学大学院)

W・J・ミッチェルは、デジタル写真が何か新しいものであるとし、かつてのポール・ドラロシュの言葉を借り、「1989年を境に、写真は死んだ」と述べている。しかし、現在のデジタル写真は、証明写真や広告写真など、マニュピレートの問題を孕みながらも、かつてのアナログの時の写真の役割を引き継いでいることや、また国内では、2000年にフィルムカメラとデジタルカメラのカメラ出荷台数が逆転し、デジタルカメラが日常的に写真用カメラとして使われていることなどを考えると、本当に「写真は死んだ」と言えるかは疑問である。短い間に日常的な「写真」となり、今やデジタルだとかアナログだとかを気にすることも少なくなっている。

だが、物理的に大きく変わったのは事実である。その構造は80年代に「スチルビデオカメラ」と呼ばれていたように、デジタルカメラはビデオカメラに構造が似ており、また、すぐ目につく特徴を挙げれば、フィルムのことは気にせず撮影でき、要らなければ消去もでき、インターネットを介して送信もでき、携帯電話でも使えるなど、異なる点はいくつもある。

ではなぜ、これほどまで構造の異なるデジタル写真・デジタルカメラが、急速に普及し、日常的な「写真」や「カメラ」の役割を担えるようになったのだろうか。ただ便利であるからとか、もしくは、他のデジタル環境に対応しているという以外にも、何か理由があるのではないだろうか。現在、デジタルカメラの開発はある程度落ちついてきている。そのような今だからこそ、見えてくるものがあるのではないかと考えている。

本発表は、このように大きく構造の異なるデジタル写真が、なぜ「写真」として短期間に受け入れられたのかという問いに対して、これまでの写真技術の進歩と、人々の認識の変容という観点から考察していくものである。技術は写真というメディアの限定的な要素かもしれない。だが、物としての写真を更新させる意味でも、またメディアとしての写真を考える意味でも外せない要素であることも確かである。私は19世紀末に登場するハンド・カメラ「ザ・コダック」からの簡略化の技術の流れが、写真を「撮る」という意味や、写真に接する人々の意識に見えないところで圧力をかけているのではないかと考えている。そのため発表では、デジタル前の写真技術の流れを見直し、そこから逆照射するかたちで、デジタル写真というものを考えていく。

「ドイツ写真」と「正当化のプロブレマティック」―「ベッヒャー派」についての一考察
鈴木恒平(神戸大学大学院)

『ドイツ写真の現在―かわりゆく「現実」と向かいあうために』展(2005)の企画者であるインカ・クレーヴェ・インゲルマンは、「ドイツ写真の現在」の「イメージ」について次のように語った。

「いわゆる「ベッヒャー派」によって長らく保持されてきた[…]ドイツ写真の同質性は、1990年代を回顧的に評価した場合、影響力をもつ個々の状況 ―― 本展では、特に突出した代表格であるグルスキーやミヒャエル・シュミット、トーマス・デマンド、ヴォルフガング・ティルマンスらの作品によって示されている ―― からつくり出された多層的なイメージにその席を譲っている。」

一見して奇妙なことは、既に70年代から活躍していたシュミットや主に海外を拠点に活動してきたティルマンスの写真が、ここにきて改めて「ドイツ現代写真」として、いわば「再発見」されたことである。それ故、こうした「イメージ」、換言すれば「ベッヒャー派以降」としての「ドイツ写真の現在」という「イメージ」の由来について考えてみることは、写真史研究にとって興味深い試みであるように思われる。ここでは、そうした試みの一つとして、これまで「ドイツ写真のイメージを決定づけてきた」「ベッヒャー派」について、さらに限定するならば「ベッヒャー派」の登場という歴史的な出来事について考えてみたいと思う。

「ベッヒャー派」の「最初の登場」は、70年代末のある展覧会にまで遡る。ここにおいて彼らの写真は、「主観的」な「ドキュメンタリー写真」と評された。「70年代は、ヨーロッパの写真にとって、革新と急進的な新しい方向付けの10年であった」という。それでは、1970年代を回顧的に評価した場合、「ベッヒャー派」の登場という出来事は、どのような「イメージ」を浮かび上がらせることになるのだろうか。本発表では、「主観性」、「正当化のプロブレマティック」、そして「ドイツ写真」といった概念を手掛かりにして、この「イメージ」を読み解いてみたいと思う。

初期映画研究再考―トム・ガニング「アトラクションの映画」の再検証
松谷容作(神戸大学大学院)

アメリカの映画研究者トム・ガニングは、初期映画にかんする研究のなかで、初期の映画と観客との関係についての考え方が、物語映画でのそれとは異なることを明らかにする。物語映画がストーリー展開や物語世界の創造により観客を映画に没入させようとするのにたいし、初期映画は好奇心をあおる映像を展示することにより観客にショックや驚きという直接的刺激をあたえようとするのである。そしてガニングは初期の考え方を「アトラクションの映画」と呼ぶ。この概念は、一方で、未成熟なものまたは物語映画にむけた進展の一契機として見なされてきた初期映画に新たな地平を開き、従来の映画史の修正を可能にする。そして他方で、それは、物語映画を語る方法では説明が困難だった、様々な映像についての有効な読解・解釈手段となりえる。この意味で、ガニングの初期映画研究そして「アトラクションの映画」という概念は、映画研究のみならず、映像を対象とする様々な分野の研究にも大きな影響を与えている。

しかしながら、現在の映画研究そして映像にかかわる研究において、「アトラクションの映画」という概念に安易に依存してしまう傾向があることは確かである。なぜなら、研究者たちは、この概念に基づけば、対象となる映画・映像にたいし、ある一定のパースペクティブを易々とえることができるからである。けれども、物語映画とは異なるモードで製作されたあらゆる映画や映像にたいし、この概念は十全に機能するのであろうか。

以上のような問題意識をもって、本発表では、ガニングが「アトラクションの映画」という概念の構築において立脚地とした、1920年代の映画、演劇にかんする諸言説の再検討と1900年パリ万国博覧会での映画という事例の検証をつうじて、この概念の有効範囲を見定めるとともに、そうした手順を踏むことによって徐々に明らかになる、初期映画研究者が初期映画に抱くユートピア的信念、つまり「あらゆる体制の外にある視聴覚経験」の場としての初期映画という信念に批判的なまなざしを向けていきたい。

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