視聴覚文化研究会

AUDITORY VISUAL CULTURE STUDIES

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第十四回視聴覚文化研究会 特集「身体改変」研究発表要旨
  • 日時:2008年12月20日、13:00〜17:00
  • 会場:京都大学文学部新館第六講義室【会場案内】

「どもる」ということ   太田純貴(京都大学大学院)

一般的に、「どもり」とは三島由紀夫の『金閣寺』でも触れられているように、ある種の機能障害や言語障害として理解されている。本発表はこうした医学的な見地に基づいたどもりについての考察ではない。本発表が注目するのは、生態心理学者エドワード・リードによって提唱された「行為のどもり」とも称されるマイクロスリップの概念である。マイクロスリップとは行為の失敗にまではいたることの無い微細な行為―行為のエラーの一種―として言及されると同時に、行為を次々とつなげていくための修正のための行為としても言及されることになる。それは単なる動きという意味での行為ではなく、不確定な未来へと向かうための未来志向的な行為であると同時に、身体と結びついた意味の生成の場でもあるだろう。

一方で、「どもり」について注目した哲学者としてジル・ドゥルーズを挙げることができるだろう。ドゥルーズはどもることやそれに相当するつなぎ間違うこと、マイナー言語で話すことなどの例を挙げ、映画や文学について言及を行っている。

もちろん、ドゥルーズ自身による直接的なマイクロスリップについての言及があるわけではないが、本発表ではマイクロスリップの概念をおさえつつ、特に『感覚の論理』を中心として身体や時間と結びつくと思われるドゥルーズのどもりの概念と合わせて、どもるということについて検討してみたい。

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