視聴覚文化研究会

AUDITORY VISUAL CULTURE STUDIES

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第十六回視聴覚文化研究会〜卒論修論発表会〜発表要旨集
  • 日時:2008年3月19日(木)13:30〜
  • 会場:神戸大学 文学部 B棟1F 152視聴覚室【会場案内

苦痛の共有と演劇性――カラヴァッジョ《ホロフェルネスの首を斬るユディト》に対する考察――
畠山容美(京都造形芸術大学)

本論はカラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio, 1571−1610)作《ホロフェルネスの首を斬るユディト》(1599年頃)が持つ被虐性と演劇性に注目し、それらの表現の出自と意味合いを考察するものである。第1章では作品の主題である「ユディト書」について述べ、第2章ではカラヴァッジョの《ホロフェルネスの首を斬るユディト》以前に他の芸術家たちによって制作された、いくつかの作品を紹介する。第3章では以上のことを踏まえて、カラヴァッジョの《ホロフェルネスの首を斬るユディト》の特異性を探る。筆者は画中に描かれた対立の構造から、この画家がホロフェルネスの描写に託した被虐性と演劇性に注目する。このことを、社会的及び宗教的背景から解釈しようと試みたのが第4章である。筆者は、《ホロフェルネスの首を斬るユディト》にはキリスト教信仰に由来した、救済を目的とした苦痛の共有が示されていると考えている。本論を用いて、この仮定の立証を試みたい。

森山大道批評における作家性の有無――手段としてのアレ・ブレ・ボケ――
松浦葵(同志社大学)

アレ・ブレ・ボケと総称されるスタイルで知られる写真家・森山大道(1938-)をめぐる批評は時代ごとに異なる。1960年代末の作品を論じた当時の批評と現在2000年代の批評を比較すると、両者は森山の写真のアレ・ブレ・ボケを、森山が写真によって表出しようとした何らかの目的に供される手段と捉える点で共通している。しかし、当時の批評はアレ・ブレ・ボケに森山の表現性や作家性を見出している一方で、現在のものにはそれが見られないという違いが両者の間に認められる。

このような違いが生じた原因は、当時の言説においてアレ・ブレ・ボケが森山の作家性の表現のための手段と捉えられていたのに対し、現在の言説においては見る者の多様な解釈のために開かれた手段であるという、アレ・ブレ・ボケの役割の捉え方の違いにあるのではないかという結論に至った。

映画の相対化するショック作用 〜 ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』より〜
吉中智里(同志社大学)

ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin,1892-1940)は『複製技術時代の芸術作品』(1936年)で、芸術の歴史を知覚形態の変容と捉え、それが社会的技術的変化に伴って変化する様を論じている。その中でも特に映画を、近代化の中で人間の知覚器官に課される諸課題を解決する可能性を持つものとして語っており、そのような映画の特性を「ショック作用(Chockwirkung)」という言葉で表現している。ベンヤミンが述べるこの映画のショック作用とはいかなるものかを解明することが本論の課題である。

1章ではベンヤミンの著作の読解を通じて、ショック作用には、(1)断片的で、(2)非アウラ的なものが、(3)再構成される、という共通形式がある事を明らかにする。そして(1)と(2)はショックに相応し、(3)再構成の要素が加わることでショック作用となると位置づける。2章ではショック作用をもたらす再構成とはいかなるものかを、ベンヤミンの写真、映画に関する言及から考察する。そこから、一つの意味に収斂せず多重的な意味の内に留まり続ける不安定な記号、という映像のインデックス性を露にする構成こそ、ベンヤミンの言うショック作用をもたらす映像の再構成だと考えられると主張する。

舞踊の「リアリティ」――身体/スクリーンに交錯する信号と物質性
小坂井雅世(神戸大学大学院)

ダンスが近代において芸術に枠付けられる中、ダンサーの身体により精神(=イデアとしてのダンス)が表出されるという言説がまことしやかに語られた。そのような心身二元論的な主体としてのダンサーの措定は、精神を本質とする人間(という主体)の自明視を前提としていた。しかし複製技術やデジタル技術の出現といった契機が、そのような思考様式に変化をもたらした。そのことにより「ダンス」のパラダイムがどのように転換したのか、それを論証するのが本発表の目的である。

現在ダンス・イメージを具現化するメディアのひとつである身体の現前/非現前が、ダンスを語る際の一義的な問題ではなくなったとすれば、ダンスについて語る言葉を、どのように構築し直せばいいのだろうか。受肉(もしくは受像)したダンス・イメージが、特定の主体によるものではなく、情報として中立的に存在するような現在の状況を、実際の作品をてがかりに考察したい。

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